
今回は、昨年7月に旅行で訪れた、北海道網走市にある「網走監獄博物館」について書いていく。
北海道の北端ということもあってか、ものものしい雰囲気と世界観に圧倒され、考えさせられる場所だった。
出発に先立って、旅行雑誌なんかでいろいろ調べてはいたが、とにかく情報が少ない。
・料金やアクセス方法は?
・当時の囚人の生活は?
・ゴールデンカムイにまつわるエピソードは?
おそらく俺以外にも網走監獄へ行くにあたって同じ経験をした人は多いはずだ。
なので、今回はまだ網走監獄に行ったことがない人や、これから行こうと計画している人向けに情報を載せておく。

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目次(クリックでジャンプ)
網走監獄の歴史は知っておいた方が良い

網走監獄へ行くにあたって、事前に歴史は知っておいた方が良い。知ってると知らないとでは、実際に見た時の感動が全然違うからだ。
俺はゴールデンカムイに出てくる五翼放射状平屋舎房の部分と入浴場くらいしかイメージできていなかった。
それ以外にもたくさんある建物を見るたびに、スマホで調べるというリズムの悪い見学となってしまった。まあそれでも十分楽しめたんだけど、やっぱり事前に歴史や施設の知識は入れておいた方がより一層楽しめる。
というわけで、下記に俺が調べた網走監獄の歴史を分かりやすくまとめておいた。
網走刑務所から網走監獄へ
今から約135年前の1890年(明治23年)に建てられた「釧路監獄署 網走囚徒外役所(のちの網走監獄)」。
明治政府が北海道開拓を進めるにあたって、囚人を作業員として道路や鉄道などのインフラ建設を行わせる政策を採用した。
中でも最も過酷な作業と言われたのが、現在の国道39号である「中央道路」の建設。わずか8ヶ月で約160kmを開通させたという、まさにブラック労働。
過酷すぎるあまり、囚人は栄養失調や過労で次々に命を落としていった。
1922年(大正11年)には監獄法が施行され、囚人の待遇が改善され始め、その後、網走刑務所は一般の刑務所と同様に運営されるようになった。
現在の網走刑務所
戦後、網走刑務所は重犯罪者を収容する施設となり、1984年(昭和59年)には、老朽化により新しい刑務所が建設。
旧監獄の建物は保存され「博物館 網走監獄」として一般公開されるようなった。
住所・アクセス・所要時間
網走監獄博物館
住所:〒099-2421
北海道網走市呼人1−1
営業時間:9:00〜17:00(入館受付16:00まで)
※休館日:12/31・1/1
料金:大人 1,500円
高校生 1,000円
小中学生 750円
アクセス:JR網走駅より徒歩40分、車7分、バス10分
移動が大変

俺は関西在中なんだけど、関西から網走監獄までの移動方法と所要時間を下記に書いておく。
札幌空港に着いてから、女満別空港行きが離陸するまで4時間ほど空きがある。この4時間の埋め方が難しい。幸い俺は野球が好きなので、できたばかりのエスコンフィールドに行って時間を潰せたが、そうでない人は時間の潰し方を考えておいた方が良い。

初日の網走監獄観光は断念
初日に女満別空港に着くのが14:00頃、そこから網走監獄まで行くとどうしても滞在時間に限界ができてしまう。(網走監獄の滞在時間はゆっくり見学すると3時間ほどかかる。)
なので初日は移動だけで終了という感じ。網走まで行けばさすがに商業施設もないので、夕食は網走駅から徒歩15分くらいの場所にある小さい居酒屋で済ませて、その後ホテルへチェックイン。
網走監獄へ向かうバス停の近くにあるホテルに泊まったが、かなり年季の入ったビジネスホテルだった。

二日目:開門と同時に入館
網走監獄の開門が朝の9時からなので、そこに合わせてバスに乗車。
ようやく網走監獄に到着、スタートラインに立ったというわけだ。
初日から移動移動で、すでに HPがだいぶ削られていたが、入館した瞬間に興奮。圧倒的な雰囲気と威圧感。
テンションがぐぐーんとあがった。

きっかけはゴールデンカムイ

俺がなぜ網走監獄に興味を持ったかというと、網走監獄も舞台となっていたアニメ「ゴールデンカムイ」にハマっていたからだ。
物語に登場する網走監獄の描写がめちゃくちゃリアルで、「これは実物が見たい!」と心が動かされた。
もう一度見たくなる
実際に本物の網走監獄を見た感想は、ゴールデンカムイの作画が忠実すぎて「野田サトルすげー!」となった。
実物を見たあとに、もう一度ゴールデンカムイを見たくなったのは俺だけじゃないはず。
ゴールデンカムイだけじゃなく、YouTubeなんかでも「網走監獄」と検索しては未だ余韻に浸っている。
今の北海道があるのは極悪囚人のおかげ

上にも書いたが、網走監獄に収監されていた受刑者は、日本全国から集められた極悪人ばかり。その極悪人を労働者として、未開の北海道を開拓していったというわけだ。
「本来は死刑になる極悪人なのだから、過酷な労働は当たり前。」
「死んでも代わりとなる囚人を補充すれば良い。」
というのが当時の明治政府の考え方だったらしい。
「極悪人とはいえ一つの命」という考え方もあるし、「本来は死刑になるのだから、それなら少しでも働かせて命を全うさせたほうが良い」という考え方もある。
俺が網走監獄に行って一番考えさせられた部分だった。
国道39号「囚人道路」

中でも一番過酷な労働と言われていたのが、現在の国道39号を開拓する事業だったらしい。
別名「囚人道路」と呼ばれるこの道は全長約160km、この距離をたった8ヶ月で整備し道路にしたのだ。
1ヶ月に換算すると約20km。
時には-20度にもなるような極寒で、布切れ一枚を纏っただけの囚人労働者いんとっては生き地獄だっただろう。
実際この事業にあたって200人以上が亡くなったらしい。もちろん囚人だけでなく、囚人を看守する監視員も。
あまりの過酷さに脱走を試みる囚人もいたらしく、見つかれば射殺。運よく逃げられても、食糧が見つからず再び戻って捕まる囚人も。
網走監獄内の施設

網走監獄の敷地面積は約17万㎡。これは甲子園球場の4.5個分に相当する。
入館して歩きながら各施設を見学、途中の休憩は取らずに進んでも3時間くらいかかった。ひとつひとつの施設に囚人や看守のマネキンが設置されているので、当時の雰囲気やどういった生活をしていたのかが、分かりやすくイメージしやすい。

囚人の生活
囚人たちが過ごした建物や作業場が再現され、彼らがどのように過酷な環境で生活し、働いていたかを肌で感じることができた。
その中でも俺が好きな場所が入浴場。効率を考えた入浴ルールはユニークなアイデアで、可能なら現代の銭湯にも導入してほしいくらいだ。
各施設の紹介

食堂
囚人たちが食べていた食事が再現されており、シンプルながら栄養に配慮されたメニューが興味深い。

お風呂
作業場ごとに15人ずつ入浴。脱衣3分、第1槽(手前)入浴3分、洗身3分、あがり湯の第2槽(奥)入浴3分、着衣3分の計15分。時間厳守の厳しいルールで入浴する。
効率を考えて作られたルールだが、それでも入用回数は、夏は週2回、冬は週1回だったという。

教会や作業場
囚人たちの更生と労働の場として機能していたことがよく分かる施設。

漬物樽の展示
環境も厳しく食料調達も苦労するため、直径1m以上の巨大な樽で保存のできる漬物を大量に作っていた。
一度に1年分の漬物を作ることができた。また厳しい環境下で作る漬物は、高い技術が必要で、ベテラン囚人が担っていたそうだ。
メインの五翼放射状平屋舎房
五翼放射状平屋舎房
網走監獄のメインステージ「五翼放射状平屋舎房」。
アニメ「ゴールデンカムイ」でのっぺらぼう(アシリパの父親)が収監されていた場所だ。
五翼放射状平屋舎房全体で200以上の独房が設置されていた。建物は全て木でできているが、その壁や梁は分厚く、ちょっとやそっとでは崩れない頑丈な造りだった。
また房の柱は斜めに切り込みが入ってるため、前の独房とは目が合わない工夫もなされていた。おそらく脱獄計画を抑止したり、いざこざを起こさせない工夫だろう。

収容定員3~5名の雑居房が126室。独居房100室。
中央見張
この建物は、中央の監視所を中心に五つの舎房が放射状に伸びる構造をしており、この設計により少人数の監視者で多くの囚人を一度に見張ることが可能になっていた。
写真の通り、長い廊下の先にある窓の光もはっきりと見える。この造りのおかげで、少ない看守で200以上の舎房を監視できた。

舎房の中の様子
冬の北海道の厳しさは想像を超えるものがあり、特に網走は零下20度を下回ることも珍しくない。
この舎房には簡素な暖房器具しか設置されておらず、極寒の中で過ごす囚人たちの苦難は計り知れない。
また、この舎房の最大収容人数は1000人以上とされ、多くの囚人が密集して生活していた。
限られた空間の中での共同生活は、衛生環境も非常に悪かったと言われている。




この場所を見学しながら
「今の囚人は、当時に比べると恵まれてるな。」
と感じた。
いくら極悪人といえど、当時の生活を想像すると、少し同情してしまう。
恐怖と孤独が支配する場所
24時間真っ暗な懲罰房
「懲罰房」は、規律を守らない囚人に対して罰を与えるための特別な施設。
この狭い房は光がほとんど入らず、外界と遮断されて孤独に耐えるしかない環境だった。


冬場は暖房が一切なく、極寒の中で耐えなければならなかったため、寒さは心身に大きな負担を与えたという。
また、房内は非常に狭く、わずかな空間で数日から数週間を過ごさなければならなかったため、囚人たちは精神的にも追い詰められた。
懲罰房の存在は、網走監獄がいかに厳格な管理のもとで運営されていたかを物語っている。現代と比べて、当時の囚人たちはあまりにも過酷な環境に置かれていたことに改めて気づかされる。
このような施設が必要とされていた背景を考えると、歴史の重みを痛感しちょっと気持ちが滅入った。
脱獄王:白鳥由栄の伝説
網走監獄を語る上で欠かせない人物が、「脱獄王」の異名を持つ白鳥由栄(しらとりよしえ)である。
彼は日本の刑務所史上、最も有名な脱獄犯の一人であり、網走監獄を含む4つの刑務所からの脱獄に成功したことで知られてる。

白鳥由栄は、驚異的な身体能力と知恵を駆使して、厳重な警備を突破していたとか。
特に網走監獄からの脱獄では、毎日出される味噌汁を鉄格子にかけて塩分で錆びさせ破壊、厳寒の地を逃亡したとらしい。

一方で、白鳥は決して凶悪犯ではなく、家族のために盗みを働いたという背景があったとも言われており、彼の脱獄のエピソードには、単なる犯罪者ではない彼の人間性が感じられる部分もある。
現在、網走監獄の展示では、白鳥由栄の脱獄劇に関する詳細な資料や再現模型が公開されており、彼の行動がいかに大胆で緻密だったかを知ることができる。
彼の物語は、網走監獄の歴史において欠かせない重要なピースだろう。
ちなみにゴールデンカムイの白石のモデルとしても有名。
最後は監獄食を体験
網走監獄の見学を終えた後に立ち寄ってほしいのが観光客向けの食堂。
この食堂では、当時の囚人たちが食べていた食事を再現した「監獄食メニュー」を味わうことができる。
中でも人気なのが「監獄定食」。
この定食は、栄養バランスを考慮したシンプルな内容で、麦飯、塩鮭、味噌汁、そして漬物がセットになっている。
囚人たちが実際に食べていた食事をもとにしてるので贅沢さはないが、素朴な味わいが逆に新鮮だった。

まさに明日まで生きるためだけの食事。
そんな気がした。これは観光客向けだが、実際に囚人が食べていたものはもっと少量で質も悪かったと思う。
旅の締めくくりとして、歴史を感じながら食事を楽しむのも網走監獄の醍醐味である。
労働力に囚人を使うという考え方

冒頭でも述べたが、北海道の開拓に駆り出されたのが網走刑務所に収監されていた囚人たち。道なき道を進み、切り開いて行ったのだが、極寒の中で行われた作業は過酷で看守を含め200人以上が亡くなったとされている。
中には野生の熊や猪に襲われた者も。
「人殺しをした極悪人だから死んでも替えはいくらでもいる。」が当時の政府の考え方であったのだろうが、やはりここは考えさせられる。
極悪人のおかげで今の北海道がある。
うーん、難しいし色々な意見があると思う。
こうやって宿題を持ち帰られた意味でも、今回の北海道網走監獄観光はすごく良かった。
まだ行ったことのない人、興味がある人はぜひ足を運んでほしい。
あと、ゴールデンカムイを見てからいくと楽しさ3倍増し。
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